壺齋散人の 美術批評
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少女の頭部:フェルメールの女性たち





「少女の頭部」は、「真珠の耳飾りの少女」と比較されることが多い。どちらも漆黒の背景に浮かび上がった少女のトルソーを描いていること、その少女の顔が横向きになった上半身の肩越しにこちらを向いていること、髪のうしろにベールをたらしていることなど、共通点があるからだ。

フェルメールの描いた女性たちは、特定の個人のための肖像画ではなく、風俗画の一種であって、描かれた女性たちにはモデルがいないというのが定説になっている。実際フェルメールの女性たちは、みな似通った顔つきをしており、そこに個性を感じることはあまりないのだが、この二つの絵の女性たちについては、顔の表情に個性が感じられ、そこから特定の女性をモデルにした肖像画ではないかとの推測がなされてきた。しかし、そうだとすると、ある筈の眉毛がないなど、否定的な材料が見られたりする。

この二つの絵をよく比べてみると、女性の表情の豊かさに差があるように見える。「真珠」のなかの少女は、口元を少し開き、目には独特の光があって、なにかを訴えかけているような雰囲気が伝わってくる。それに比べると、この絵の少女は、やや表情が乏しいように感じられる。顔の彫が浅く(特に眼窩の部分)、唇は薄い。

色彩については、「真珠」が黄色と青と使い、寒暖取り混ぜて色の調和を図っているのに対して、この絵の場合には、全体として色彩感が乏しい。少女の表情自体が、「真珠」のような温かみに欠け、銀白色の上着も寒々とした感じを与える。

不自然に感じられるのは、少女の上体の描き方だ。画面下のほうに腕の一部と思われる部分がのぞいているところから、この少女は左腕を曲げているように見えるのだが、それにしては、肩から腕にかけての線が明瞭でない。というより、肩がないように見える。

これは、上着の衣文の描き方に拘ったせいだと思われる。衣文の描き方が妙に込み入っており、そのあおりで、上着の下にあるべきはずの身体のボリューム感がおざなりになったのだろう。



これは少女の顔の部分を拡大したもの。「真珠」の少女と同じように、この少女も耳飾りをつけている。(カンヴァスに油彩 44.5×40cm ニューヨーク、メトロポリタン美術館)





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