壺齋散人の 美術批評
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ミュンヘンの磔刑図:クラナッハの宗教画




ミュンヘンの磔刑図として知られるこの絵は、ウィーンの磔刑図より三年くらい後(1503年)に描かれた。両者の間には、いくつかの相違点が見られる。まず、キリストの描き方。ウィーンのそれは、まだ生きながらにして苦痛に耐えているキリストが描かれていたのに対して、ここでのキリストは既に死に絶えている。次に、キリストを囲む人々。ウィーンのそれは、悲しみに沈む女性(マリアかもしれないが、はっきりとはしない)の外は、キリストの処刑を楽しんで見ている人々の邪悪な表情が描かれていたのに対して、ここでは、息子の死を悲しむマリアとその夫ヨセフが描かれている。

こんなところからわかるように、ウィーンの磔刑図はキリストその人に焦点があてられているのに対して、この絵では、マリアとヨセフの悲しみの感情に焦点があてられている。彼らは、三本の十字架が描く円の中に立って、お互いを慰め合うように、体を寄せ合っている。二人の腕は互いに結び合わされ、それによって身体のバランスを保とうとしながら、マリアが十字架の上で息絶えた息子と見上げる。そのマリアを夫のヨセフが、左足を踏みしめながら支えようとする。これは、息子を失った良心の心の風景を描いた作品と解釈できる。

しかし、人間の悲しみをつつまず描き出していることに成功しているかと云う点については、評価は様々なようだ。たとえばマリアの表情にしても、そこに深い人間的な悲しみが現れているとはいえないようであるし、ヨセフの表情に至っては、それがどんな感情を現しているのか、わからないほどだ。

この二人を、三本の十字架が描く円のなかに収めたのは、クラナッハの演出だろう。その効果を出すために、左側の十字架が極端に前面の方に張り出して来て、十字架にかけられている泥棒の表情が曖昧になってしまっている。だが、こうしたトリックを用いているにかかわらず、マリアとヨセフに焦点が集まるような効果は出ていないようだ。その意味からも、この絵は、ウィーンの磔刑図に比べて、進歩しているというわけにもいかない。

背景の描き方も、ウィーンのそれとは大分異なっている。ウィーンのそれは、森を背景にしているが、この絵では、樹木の先にアルプスの山々が広がっている。また、キリストの十字架の足もとには、頭蓋骨が転がっているが、それは髑髏と云うより、仮面のように見える。

ところで、こうした宗教画の登場人物の中に、絵の作成を依頼した人を描き込むことは、デューラーがよくやったことだったが、この絵の中のマリアとヨセフも、あるいは依頼者の面影なのかもしれない。

(1502年、板に油彩、99×138cm、ミュンヘン、ピナコテーク)





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