壺齋散人の美術批評 |
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嵐のルーヴル:ホッパーの世界 |
エドワード・ホッパーは、1906年から1910年にかけて、三回ヨーロッパに旅した。主な目的は、ヨーロッパの美術を吸収することだった。その頃、つまり20世紀初頭は、ヨーロッパ美術の転換期にあたっており、今日ヨーロッパ現代美術として理解されている動きが本格化していた。ピカソが「アヴィニョンの娘たち」を描いたのは1907年のことであり、カンディンスキーやモンドリアンは抽象絵画への模索をはじめていた。しかしホッパーはそういう動きには無関心だった。かれはピカソの名も知らなかったと後にいっている。ホッパーが惹かれたのは、印象派であり、モネやセザンヌの作品をことのほか気に入った。 そんなわけでホッパーは、印象主義の強い影響下から画家として出発した。かれの最初期の作品には、印象派の影響が指摘される。 「嵐のルーヴル(The Louvre in a thunderstorm)」と題したこの作品は、そうしたホッパーの印象主義的な要素がうかがわれるものだ。 輪郭を故意に曖昧にし、もっぱら色彩の差異によって対象を表現しているところは、印象派の技法にならったものだ。だが、印象派のもう一つの重要な要素である光については、この作品からは強く感じることはない。それは、曇天をモチーフにしているからだともいえなくはないが、たとえばモネは、曇天を描いても、光を強調している。 ともあれこの絵の構図は、セーヌ川の左岸からルーヴルを眺め渡したもの。橋はカルーセル橋、その下を小舟が行きかっているところは、今日でも見ることができる。 (1909年 カンバスに油彩 58.4×73.0㎝ ニューヨーク、ホイットニー美術館) |
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