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エドワード・ホッパーの世界:作品の鑑賞と解説


エドワード・ホッパー(Edward Hopper 1882-1967)はアメリカの生んだ最初の世界的画家である。アメリカはヨーロッパからやってきた白人が原住民を追いやって人工的に形成した国家社会だったので、歴史とか文化の蓄積がほとんど無いに等しかった。とくに芸術の分野においては、ヨーロッパの産物を好事家的に弄ぶに過ぎなかった。ウィンズロー・ホーマーのような、水彩でアメリカの自然を情緒豊かに表現した画家はいたが、ローカルな名声を得たに過ぎなかった。アメリカ人画家として世界中に認められたのはホッパーが最初だったのである。

ホッパーはアメリカン・リアリズムの代表者として知られている。リアリズム絵画は、ヨーロッパでは19半ば過ぎ世紀までの現象であり、19世紀の末から20世紀にかけて、印象主義以下さまざまな芸術運動が巻き起こった。とろこがアメリカだけは、20世紀になってもなおリアリズム芸術が主流であって、ヨーロッパ人から見れば、田舎臭いと映った。その田舎臭さを逆手にとって、アメリカの自然を素朴に描いたのがホッパーだったのである。

素朴といっても、それは象徴的な意味においてであって、ホッパーが対象を写真のように忠実に再現したということではない。ホッパーの表現方法には、対象についての独自の見方が働いている。それはアメリカの大自然とそこに生きる人間のワイルドな触れ合いである。ホッパーの多くの絵は、巨大な自然に接して存在する人工的な施設を描いたものが多い。ホッパーの絵に描かれているような荒々しい自然は、ヨーロッパには存在していなかった。ヨーロッパの自然はかならず人間の手の跡がみられる。そんなヨーロッパ人にとってホッパーが表現した自然は非常に新鮮に映っただろうし、またアメリカ人自身、ホッパーの絵を通じて自分たちが生きている世界の野性的な荒々しさを実感できたのだと思う。

ホッパーはまた、ホテルやオフィスの中で動き回る人間達をスパップショット的に描くのが好きだった。ホッパーのそうした作品は、あたかも映画のワンショットのように見える。アメリカ映画はドライな都市生活を描くことにこだわったが、それと同じこだわりをホッパーも共有していた。その意味でホッパーは、アメリカでなければ生み得ないタイプの芸術家だったといえる。

アメリカンスタイルとは、要するに人工的でそれなりに快適な生活を意味するが、ホッパーの絵には、そうした人工的な要素とか人間の合理的な生き方が反映されている。ホッパーの絵に深い精神性を認める批評家もいるが、ホッパーは基本的には外面を外面として表現した画家である。その外面は、建物においては壁がおりなす光と陰であり、人間にあっては無表情に見える顔である。ホッパーの絵に出てくる人間は、あくまでも外皮であって、精神的な内面性は感じられない。

ホッパーはニューヨークの中流家庭に生まれ、18歳から24歳までの六年間ニューヨークの美術アカデミーで学んだ。その学校はもっぱらリアリズム風の指導をしていた。この学校でホッパーは、レンブラントやカラヴァッジオを目標にした。バロック絵画といわれるものだが、バロックといえどもあくまでリアリズムを基礎にしたものである。ホッパーはバロックを通じて、リアルな構図と強烈な明暗対比を身に着けた。ホッパーの生涯を通じての画風は、バロック風のリアリズムといってよい。

ホッパーは美術学校卒業後、ヨーロッパとくにパリで美術修行をした。そのころのパリは世界の芸術運動の中心であり、キュビズムやフォーヴィズムといった新しい芸術運動が盛んになっていた。しかしホッパーはそうした新しい動きには無頓着で、もっぱら印象主義絵画に強烈な関心をもった。ホッパーは、自分は基本的には印象主義者だと言っているが、それはもしかして光の表現にこだわったという意味かもしれない。しかしホッパーの光の表現はバロック的なものであって、印象主義というのは、厳密には正しくないように思える。

ホッパーは遅咲きの画家で、世間の注目を集めるようになるのは、37歳以後のことである。その直前に生涯の伴侶ジョーと結婚している。ホッパーは、ジョーをモデルにして人物画を描く一方、二人でスケッチ旅行を繰り返して、風景画を制作した。ホッパーはかならずしも多作ではなかったが、手がけた作品は大作が多い。

第二次大戦後の晩年のホッパーは、美術批評では古臭い画風とこきおろされることが多かった。アメリカにもようやく抽象絵画の動きが出てきて、ホッパーのようなリアリズム絵画は時代遅れと見られたのである。そうではあっても、ホッパーの絵は、アメリカ人がはじめて世界に自信をもって示したものである。たとえ時代遅れといわれても、ホッパーがアメリカ絵画史に残した業績はきちんと評価する必要があるだろう。ここではそんなエドワード・ホッパーの代表的な作品を取り上げ、画像を鑑賞しながら適宜解説と批評を加えたい。


嵐のルーヴル:ホッパーの世界

夏の室内:ホッパーの世界

線路際の家:ホッパーの世界

街:ホッパーの世界

灯台の丘:ホッパーの世界

沿岸警備隊:ホッパーの世界

オートマット:ホッパーの世界

鉄道の夕日:ホッパーの世界

チャプスイ:ホッパーの世界

日曜日の早朝:ホッパーの世界

コッブ家の納屋と遠景の家:ホッパーの世界

コンパートメントC:ホッパーの世界

ニューヨークの映画館:ホッパーの世界

ガソリン・スタンド:ホッパーの世界

夜のオフィス:ホッパーの世界

ナイトホーク:ホッパーの世界

ホテルのロビー:ホッパーの世界

サマータイム:ホッパーの世界

夏の夕べ:ホッパーの世界

ケープ・コッドの朝:ホッパーの世界

線路際のホテル:ホッパーの世界

サウス・カロライナの朝:ホッパーの世界

西部のモーテル:ホッパーの世界

日を浴びる人々:ホッパーの世界

ニューヨークのオフィス:ホッパーの世界

二人のコメディアン:ホッパーの世界




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