壺齋散人の美術批評 |
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線路際の家:ホッパーの世界 |
三度目のヨーロッパへの旅から1910年にアメリカに戻ったホッパーは、ニューヨークを拠点にしてアーティストとしてのキャリアを始めようと思った。色々な機会を捕まえて、作品を公開したが、なかなか注目されなかった。一方、エッチングやイラストの類は、商業的な価値が認められて、エッチングなどは一定の需要があったようだ。 ホッパーが新進画家として認められるようになるのは、1920年代後半である。そのころのアメリカは、バブル景気の真っ最中で、金が有り余っていたので、美術品への需要が高まっていたという事情もあった。 1924年に、かれはニューヨークのホイットニー・クラブで初の個展を開いた。その前年には生涯の伴侶ジョーと結婚している。いわばかれの最初のブレークだった。その個展には16の作品を出展し、ひとつも売れなかったが、名前が知られるきっかけにはなった。 「線路際の家(House by the railroad)」と題するこの絵は、一回目の個展の翌年に描いたもので、ホッパーの初期の代表作である。明瞭なラインと強い明暗対比は、以後彼の画風を特徴づけるものであり、それ以前の印象派風の画風から、リアリズムの画風への転換を画す作品となった。 また、この作品には、人の姿がなく、建物がむき出しの形で観客の目にさらされている。しかも、建物の前景として線路が描かれている。この線路は、画面とほぼ並行であり、モチーフの建物と観客の目とを媒介する役目を果たしている。観客はストレートに建物に向かうのではなく、線路を介して、間接的に建物を見る。線路によって画されたその空間に、ホッパーは人間的な感情を忍びこませた。ホッパーの作品は、そうした人間的な感情を、画面の表面に固定させるのではなく、画面の背後にしのばせるところに特徴がある。 (1925年 カンバスに油彩 61.0×73.7㎝ ニューヨーク、ホイットニー美術館) |
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