壺齋散人の 美術批評
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慈悲の七つの行い:カラヴァッジオの世界




1606年5月に、カラヴァッジオは殺人事件を起こしてしまう。相手はラヌッチオ・トマッソーニ。かつてフィリーデ・メランドローニを愛人にしていた男で、カラヴァッジオとは長い付き合いがあった。その二人が殺し合いをした理由は詳しくはわかっていないが、色々なことで対立していたようだ。殺し合いは一対一ではなく、数人のグループ同士だった。その乱闘でカラヴァッジオ自身も、頭部に大けがをした。この事件をデレク・ジャーマンは、「カラヴァッジオ」という映画の中で、女をめぐるいざこざからというふうに描いている。映画ではレナという女をめぐって二人は三角関係にあったが、ラヌッチオがレナを殺したと知ったカラヴァッジオが復讐したということになっている。

殺人犯となったカラヴァッジオには死刑判決が下され、カラヴァッジオはローマから逃げ出さざるを得なくなった。とりあえずはローマ周辺の山中に身を潜めていたが、その年の秋にナポリに現われた。以後カラヴァッジオは二度とローマに戻ることはなかった。

カラヴァッジオは、殺人犯ではあるが、高名な芸術家として、ナポリに暖かく迎えられたようだ。さっそく大作の注文を受けた。「慈悲の七つの行い」は、ピオ・モンテ・デラ・ミゼリコルディア聖堂の祭壇画として描かれたもの。この聖堂は、ナポリの有力者たちによって建てられたもので、慈善行為を看板にしていた。その祭壇を飾る大作を求めていたところに、ちょうど当代随一の評判があるカラヴァッジオがやってきたというので、是非にもと依頼してきたというわけである。

モチーフは、依頼主が慈善団体ということもあって、慈善行為である。カラヴァッジオは福音書に期されている数々の慈善行為を寄せ集めて、それを一つの画面に表現した。さまざまな慈善行為が雑然と描かれ、上部には聖母子が顔を出して、そのありさまを見守っている。



これは、餓死の刑に処せられた父を見舞って、乳を与えている娘ペローである。

(1617年 カンバスに油彩 390×260㎝ ナポリ、ピオ・モンテ・デラ・ミゼリコルディア聖堂)





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