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フィリッポ・リッピ:ルネサンス美術




フィリッポ・リッピ(Filippo Lippi 1406-1469)は、修道士の出身だったが、俗名で呼ばれているのはわけがある。かれは50歳の頃、フィレンツェ郊外プラートのサンタ・マルゲリータ修道院の司祭に任命されたのであるが、そこの修道女であったルクレツィアに懸想し、彼女を修道院から連れ出して、結婚してしまった。このことで破門になりそうになったが、メディチ家のとりなしで、波紋を逃れ還俗することができた。そんなことから、自由奔放なイメージがある。

若い頃から画才を示したといわれる。絵はロレンツィオ・モナコの指導を受けたらしい。モナコとマサッチオの影響を指摘できる。また、彼の弟子としては、ボッティチェッリがいる。

上は、「玉座の聖母子」。「コルネートタルキニアの聖母」ともいわれる。この絵には、マサッチオの強い影響が見られる。人物もさることながら、背景も遠近法を活用して立体的に描かれている。よく見ると、どこにでもある世俗的な室内空間である。このような生活感あふれる世俗的空間をモチーフに持ち込むのは、フランドル絵画の特徴であり、フィリッポ・リッピはイタリア絵画とフランドル絵画の橋渡しをした画家だといえる。(1437年 114×65㎝ ローマ、バルベリーニ宮)



これは、「聖母戴冠」。聖母の戴冠を見守る夥しい数の群衆に、ゴシック風の細密描写の影響が窺える。(1444年頃 フェレンツェ、ウフィチ美術館)



これは、「聖母子と二天使」。母と子はリッピの妻子、ルクレツェアとフィリッピーノだとされる。この絵の中の聖母には、光輪が描かれており、光輪を省いた「玉座の聖母子」とは異なっている。かれは愛する妻をモデルに描く時には、光輪を添えてやりたかったのであろう。(1465年頃 ウフィチ美術館)





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