壺齋散人の 美術批評 |
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ロバの学習:ゴヤの版画 |
(弟子のほうが物知りか) 人間の愚行を動物の姿に託して描くのはゴヤの常套手段だったが、そのなかでもっとも頻繁に登場するのはロバだ。ロバは、ゴヤにとってのみならず、ヨーロッパの言説空間の中では、愚昧と無知の象徴として活躍してきたのだったが、ゴヤもまた、ロバを無知の化身として使っている。 この絵は、一見すると、大人のロバつまり教師が子供のロバつまり生徒に向かって文字を教えているようにも見えるが、題名の「弟子のほうが物知りか」は、そうではないことを暗示している。この題名を信じるとすれば、この教師に見えるロバは、実は何も知ってはいないのであり、その無知なところを生徒のロバに指摘されているということになる。 このロバに限らず、本当は無知なくせに、知ったかぶりをしたがる連中が、ゴヤの時代にはたくさんいた。その代表は修道士をはじめとした聖職者である。この絵は、知ったかぶりの聖職者よりも、一般の信徒のほうが、よほど宗教のことを理解している、と読めないこともない。 (祖父の代までも) この絵のなかのロバは、大きな本を広げて、なにやら深刻な真理を学ぼうとしているように見える。だが、本の内容をよく見ると、そこにはロバらしい形の生き物がたくさん描かれている。ロバが学習しているとしたら、これはロバの文字なのだろうか。 そうではない、というのが正解のようだ。題名の「祖父の代までも」にあるとおり、これはロバの系図らしいのである。このロバは、自分の家系図を記した本を示して、己が由緒正しい家の出であることを訴えているようなのだ。 このロバは、当時の宰相ゴドイだというのが有力な説である。ゴドイは、系図もないような卑小な家柄の出だったが、自分に箔をつけるために系図を詐称し、ゴート王の子孫だと主張した。この絵は、そんなゴドイを笑いのめしている。そういう解釈も成り立たないわけではない。 |
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