壺齋散人の 美術批評 |
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女と滑稽:ゴヤの版画「妄」 |
(女の妄) 数人の女たちが毛布を引っ張り合い、その上に藁人形を乗せて、トランポリンのように跳躍させている。よく見ると、毛布には一匹のロバが横たわっているが、それが本物のロバなのか、それともロバの模様なのか、はっきりとはわからない。 試し刷りのひとつに、「ロバどもを相手に藁人形遊びをする」というのがあることから、これは女たちが愚かな男たちを愚弄したものだとする解釈もある。ロバのように愚頓な男たちを、藁人形のように手玉にとると見るわけであろう。 アカデミーの解釈に従うと、これは、「死んだロバよりまだ重い」という諺を視覚化したものだということになるが、毛布を持った女たちには、重たがっている様子は見られないし、第一この解釈では、何故藁人形がはねているのか、説明がつかない。 試し刷りのメモには「女の妄」という書き込みもあることから、これが女たちの軽薄さを皮肉ったものであることは間違いないようだ。 (滑稽の妄) 一本の枯枝の上に、沢山の人が乗っている。そのうちの一人は、他の人たちを前にして、なにやら話しかけている。身振り手振りからして、どうも説教をしているようだ。話しかけられている人々は、熱心に聞き入るというわけでもなく、ただぼんやりと聞き流しているように見える。それは、彼らの目がうつろなことからわかる。 説教しているものが、何を説教しているのかは、はっきりとはしないが、その意義ならなんとなく伝わってくる。説教する男も、それを聞き流す人々も、枯枝の上にひしめいているので、いつその枝が折れて、全員が地上に転落するかもわからない。つまり、彼らは脆弱な根拠の上にいるに過ぎないのだ。 そんな脆弱な根拠の上で、何をいっても始まらない。それは滑稽以外の何者でもない。そんな声が、この絵からは聞こえてきそうである。 |
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