壺齋散人の 美術批評 |
HOME | ブログ本館 | 東京を描く | 水彩画 | 日本の美術| プロフィール | 掲示板 |
イヴァンチッチェでの青書の印刷:ミュシャのスラヴ叙事詩 |
![]() (イヴァンチッチェでの青書の印刷) フス派はチェコの民衆の間に持続的で深い影響を与えた。その中から16世紀の半ばごろにボヘミア兄弟団が結成され、大きな広がりを見せた。このボヘミア兄弟団は、後にルター派と合流してチョコ兄弟団へと発展していく。ルター派に先駆けて、民衆の言葉で聖書を翻訳したのもこの団体である。 この絵は、そのボヘミア兄弟団による聖書の民衆版の印刷をテーマにしている。イヴァンチッチェはミュシャの故郷。そこでチェコで初めて聖書の印刷が行われた。ミュシャはそれを誇りに思って、このシリーズのなかに取り入れたのであろう。 大勢の人々が集まって、聖書の印刷具合をチェックしている様子を描いている。 ![]() これは、盲目の老人に聖書を読みきかせる少年。この聖書ができる前は、ラテン語の聖書しかなく、民衆には近づきがたかった。 (1914年 カンバスにテンペラ 610×810㎠ プラハ、ヴェルトゥルジニー宮殿) ![]() (コメンスキーの死) コメンスキーは、ヨハネス・アマス・コメニウスというラテン名で、17世紀に活躍したフス派の流れを汲む宗教家。カトリックの迫害を受けて、故郷のモラヴィア(チェコ)ではおられず、ヨーロッパ各地を転々とし、オランダで生涯を閉じたという。 この絵は、死期の迫ったコメンスキーを描く。海岸を前にしてうつむき加減に座っているのがコメンスキー。海岸はオランダの海岸であろう。画面左手前に入る人々は、コメンスキーの弟子たちと思われる。みな師匠の死が近いことを嘆き悲しんでいるようである。 (1918年 カンバスにテンペラ 405×620㎝ プラハ、ヴェルトゥルジニー宮殿) |
HOME | ミュシャ | スラヴ叙事詩 | 次へ |
作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2011-2021 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |