壺齋散人の 美術批評 |
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夜、少女に導かれる盲目のミノタウロス:ピカソ、子どもを描く |
ピカソは、1925年に息子のパウロを描いて以降子供の絵から遠ざかっていたが、1934年になると、またもや子どもをモチーフにした絵に取り組む。しかも、かなりユニークなモチーフだ。盲目になったミノタウロスの手を引いて導く少女、がそれである。 ミノタウロスとは、ギリシャ神話に登場する、牛頭人身の怪物だ。ミノタウロスはクレタ王ミノスの妻パシパエーが牛と交わって生まれた子であるが、あまりに醜悪かつ乱暴だったのでミノス王に疎んじられ、迷宮に閉じ込められた。閉じ込められたミノタウロスの食べ物としてミノス王は、毎年多くの少年少女を生贄として送り込むように土地の人に命じたのだが、それを聞いた英雄テーセウスが自ら生贄となって迷宮に赴き、ミノタウロスを退治するということになっている。 退治されたミノタウロスは殺されたのであって、盲目のまま生きていたはずはないのだが、ピカソは何故か、ミノタウロスを盲目にさせ、それを少女が導くという物語を作り上げた。これには、オイディプスの神話が関わっていると思われる。父親を殺し、母親と交わったことを知って絶望したオイディプスはわが手で目をつぶし盲目となったのであるが、そのオイディプスを娘のアンティゴネ―が手を引いて導いた。この神話をミノタウロスの神話と重ね合わせたのではないか、と考えられるのである。 しかもピカソは、このミノタウロスに自分自身を投影していたフシがある。ミノタウロスは肉欲の象徴とされるが、ピカソもまた自分自身を肉欲の権化と認識していた。自分の旺盛な肉欲が盲目の激しさであることを、盲目のミノタウロスを通じて表現しようとしたのではないか。 では、盲目のミノタウロスことピカソを導く少女とはだれか。それは、恋人のマリー・テレーズだと思われる。ピカソとマリー・テレーズとは1925年ごろ出会って以来次第に親密になったが、ピカソは妻のオルガと離婚することが出来ず(それは多額の慰謝料のためだったともいわれる)、マリー・テレーズとはついに正式な結婚をすることがなかった。そのマリー・テレーズへの愛が最も高まるのは1932年頃だとされており、1935年には娘のマヤが生まれる。 したがって、このモチーフが繰り返し描かれた1934年と言うのは、ピカソとマリー・テレーズとの愛が最も昂揚していた時と考えることが出来る。 この作品「夜、少女に導かれる盲目のミノタウロス(Minotaure aveugle guidé par une fillette dans la nuit)」は、一連のミノタウロスものの中で最も有名なものである。 (1934年、銅版画、24.7×34.7cm、個人蔵) |
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