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フランソワ・ブーシェ:ロココ最盛期を代表する画家 |
フランソワ・ブーシェ(François Boucher 1703-1770)は、ヴァトーより一世代後の、ロココ最盛期を代表する画家である。芸術上の運動としてのロココは、フランスの宮廷を中心として発展したのだったが、ヴァトー自身は、民間のパトロンの庇護を受けるにとどまり、宮廷社会とは距離があった。それに対してブーシェ、宮廷の厚い庇護を受け、いわば宮廷画家としての名誉を享受した。その画風は、ロココのなかでももっともロココらしいといわれるように、華麗で絢爛なものであった。 ブーシェは、職能組合所属の画家であった父親から、まず絵画術の手ほどきを受けた。その後、のちに国王の首席画家となるフランソワ・ルモワーヌに弟子知りしたが、本人によれば学ぶことはほとんど無かったという。おそらく、すでに自分流の画風を確立していたのであろう。 1723年に、ブーシェはローマ賞を受賞する。この章は、副賞としてローマ留学の費用を出すことになっており、ブーシェはそれを期待したのだったが、色々な事情で実現しなかった。そこで、自費でローマ留学をする決心をし、1727年から四年間ローマに滞在した。そこでブーシェは、バロックの神髄を吸収することができた。 ローマから戻ってすぐ、1731年にブーシェは王立アカデミーの準会員になることができた。そして1734年には「リナルドとアルミダ」が高く評価されて、正会員となった。以後ブーシェは、アカデミーを足場にして、宮廷画家としての地位を確立していく。 上の絵は、かれの出世作となった「リナルドとアルミラ」。リナルドとアルミラは、16世紀のイタリアの詩人タッソーの叙事詩「解放されたエルサレム」にでてくるキャラクターで、西洋絵画ではおなじみのモチーフになっていた。それをブーシェは自分なりの解釈に従ってイメージ化したのである。 (1734年 カンバスに油彩 133.5×170.5㎝ パリ、ルーヴル美術館) |
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