壺齋散人の 美術批評 |
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騎士と死と悪魔:デューラーの三大銅版画 |
1513年から翌年にかけての二年間、デューラーは彩色画の制作を一切中止して、銅版画の制作に没頭した。その結果生まれたのが、三大銅版画と言われる作品群、すなわち、「騎士と死と悪魔」、「メランコリア」、「書斎の聖ヒエロニムス」である。これらの作品群は、デューラーの制作活動のピークをなすものであり、彼の最高傑作といってもよい。 このうち「騎士と死と悪魔」については、デューラー自身は単に「騎士」とのみ言っていた。それが「騎士と死と悪魔」と呼ばれるのは、18世紀以降のことである。というのも、この版画の中には、騎士と並んで、悪魔と死のシンボルが一緒に描かれているからだ。 デューラーがこの銅版画を作った動機については、様々な憶測がある。そのひとつに、ルター逮捕の知らせを聞いたデューラーがエラスムスに後継者となるよう希望し、そのエラスムスをキリストの騎士として描いたのだとする説があるが、ルターの逮捕が1521年で、この銅版画の制作が1513年であることなどを考慮すると、あまり説得性はない。 実をいうとデューラーは、これと同じような騎士の像を、すでに1498年に水彩画の形で描いていた。これらを比較すると、騎士のポーズは、銅版画の騎士の方が表情が明確であるという点を除けば殆ど同じである。ただ、騎士が跨っている馬の姿勢には大きな違いが或る。水彩画の馬はうつむいているのに対し、この馬はまっすぐ前方を見据えている。その表情は、騎士と同じく決然としたものを感じさせる。専門家の研究によれば、この馬の姿勢は、ドナテルロの彫刻やダ・ヴィンチのスケッチに大きく影響されているという。デューラーはこの絵の中の騎士像に、イタリアの画風を持ち込んでいるわけである。 それに対して、画面の中に現れる死と悪魔のイメージは北方的なものである。砂時計を抱えて騎士を見つめている老人は、寿命に限りがあることの隠喩であり、動物の化け物は北方的な悪魔のイメージである。つまりこの絵の中には、イタリア風のキリスト教のイメージと、北方の中世的なイメージが混然と融合しているのだといえる。 その点で、この銅版画は、北方的なものと南方的なものとを橋渡ししたデューラーの芸術活動を集約するものだと位置付けることが出来る。 (1513年、銅版画、24.5×18.8cm) |
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