壺齋散人の 美術批評 |
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気晴らし(Arearea):ゴーギャン、タヒチの夢 |
「気晴らし(Arearea)」と題したこの絵は、女たちの楽しいひとときを描いたものだ。マタイエアの珊瑚の浜辺で、木陰に座った二人の女。一人は縦笛を吹き、もう一人がその音に聞き入っているが、何故か表情はこちら側を向いている。あたかもポーズをとっているようだ。 この絵の右手の女を、男だとする解釈もある。というのもゴーギャンは、タヒチ人は男か女か区別のつかないものが多いと、「ノアノア」の中で言及しているからである。右手の人が男だと解釈すれば、これはまさに楽しいひとときだ。だが、題名に「気晴らし」とあるからには、二人とも女と解釈したほうが自然だろう。男と女が気晴らしをしあうというのは、余りにも能がないから。男と女は気晴らしではなく、愛し合うようにできているものだ。 背景には、さんご礁の浜辺で、タヒチの偶像を前に踊る人々が描かれている。この偶像はタヒチの神だと思われる。タヒチ人は壮大な神話の体系を持っていて、そこでは様々な神が人間に恵みを垂れるのである。 手前の犬は、狐のような表情をしているが、何でこんなところに顔を出したのか。ゴーギャンの意図がよくわからない。 これは、二人の人物の部分を拡大したもの。右手の人に胸のふくらみは認められないが、表情を見ると、やはり女に見える。違う見え方もあるかもしれないが。(カンヴァスに油彩 75×94cm パリ オルセー美術館) |
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