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レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画:作品の鑑賞と解説




レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci 1452ー1519)は、イタリア・ルネサンスを象徴するような人物であるばかりか、人類史に屹立する偉大な人間である。絵画の歴史においても、偉大な業績を残している。彼はイタリア・ルネサンス芸術を代表する画家たるのみならず、人類の絵画史上において最も偉大な画家ともいえるのだ。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、生涯のキャリアを画家としての修行から始めた。フィレンツェ郊外のヴィンチ村に生まれ、早くから絵の才能を示したために、十七歳の頃フィレンツェの画家・彫刻家アンドレア・デル・ヴェロッキョに弟子入りし、そこで絵画を学んだ。二十歳代の早い頃から、すでに師をしのぐような能力を示したようである。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、画家としても偉大な人間になったわけであるが、ただの画家たるには留まらなかった。彼はその他様々な分野で天才を発揮した。数学のほかに、力学や天文学の分野で業績を収め、人体科学や幾何学・建築などにも目覚しい業績を上げた。それゆえ、万能人間と言われているほどだ。

関心の領域が広かったために、完成した絵画の数は少ない。レオナルド・ダ・ヴィンチの真筆とされる彩色画で完成されたものは20点にも満たない。それは関心の広さもさることながら、ダヴィンチのあきやすい性格にも起因しているとされる。ダ・ヴィンチは、一つの作品に長い時間をかけるのが例だったが、完成を見る前に作業を中断してしまうことがよくあった。そのため、多くの作品が未完成のまま残されたのである。

レオナルド・ダ・ヴィンチのもっとも早い時期の絵画作品で現存するものは、「カーネーションの聖母」で、二十歳代初期の作品と思われる。その前に、師匠ヴェロッキオ作品「受胎告知」の制作にレオナルド・ダ・ヴィンチがかかわっていたことが判明している。

フィレンツェを本拠としていたレオナルド・ダ・ヴィンチは、三十歳の頃ミラノに移った。動機は良くわからないが、美術製作以外の事情によるもののようだ。レオナルド・ダ・ヴィンチは多彩な分野で活躍しており、その名声はイタリア中に響き渡っていたのである。

ミラノでは、レオナルド・ダ・ヴィンチの最初の偉大な作品といわれる「岩窟の聖母」を完成させた。これは、ミラノの聖フランチェスコ教会の依頼で制作したものである。ダ・ヴィンチはまた、ミラノのスフォルツァ公の宮廷画家として召し抱えられ、何点かの肖像画を描いている。「白貂を抱く婦人の肖像」とか「美しい額飾りの婦人」といった作品である。

有名な「最後の晩餐」は、スフォルツァ公ルードヴィゴの命を受け、サンタ・マリア・デレ・グラーツェ聖堂の食堂の壁画として制作されたものである。保存に適さないテンペラ画法で描かれたため、何度も修復を施されてきた。

1499年にスフォルツァ公が失脚すると、レオナルド・ダ・ヴィンチはミラノを去り、マントヴァ、ヴェネチアを経て翌年の春頃にフィレンツェに戻った。「モナリザ」は、フィレンツェの有力商人フランシスコ・デル・ジョコンドの依頼を受け、かれの妻を描いたものである。これは永遠の女性美をもっとも完璧に表現したものと言われるが、ダ・ヴィンチ自身は、同性愛者であり、女性を性的魅力の保持者とは見ていなかったようである。

「洗礼者ヨハネ」はレオナルド・ダ・ヴィンチ晩年の代表作であり、ローマで制作されたものであるが、これは男性の性的魅力を表現したものであり、ダ・ヴィンチの同性愛の傾向が表れた作品といえる。

ここでは、そんなレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画作品のうち、一応完成した彩色画をとりあげて鑑賞しながら、適宜解説・批評を加えたい。


カーネーションの聖母:レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画

受胎告知:レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画

ブノワの聖母:レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画

ジネヴラ・デ・ベンチの肖像:レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画

聖ヒエロニムス:レオナルド・ダ・ヴィンチの宗教画

岩窟の聖母:レオナルド・ダ・ヴィンチの祭壇画

白貂を抱く婦人の肖像:レオナルド・ダ・ヴィンチの肖像画

若い男の肖像:レオナルド・ダ・ヴィンチの肖像画

婦人の肖像:レオナルド・ダ・ヴィンチの肖像画

最後の晩餐:レオナルド・ダ・ヴィンチ

モナ・リザ:レオナルド・ダ・ヴィンチの肖像画

岩窟の聖母(第二ヴァージョン):レオナルド・ダ・ヴィンチ

洗礼者ヨハネ:レオナルド・ダ・ヴィンチ

聖アンナと聖母子:レオナルド・ダ・ヴィンチ



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