壺齋散人の 美術批評
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ジョルジョーネ:ルネサンス美術




ジョルジョーネ(Giorgione 1477-1510)は、ヴェネツィア派を代表する画家で、非常に大きな影響力を及ぼしたとされるが、三十代の若さで死んだこともあり、残っている作品は多くはない。その中には、真偽の明らかでない作品も多く、一説には真筆と保証できるものは六点しかないともいう。

ジョルジョーネは例によってあだ名で、本名はジョルジョ・バルバレッリ・ダ・カステルフランコという。ヴェネツィア近郊の村カステルフランコ・ヴェーネトに生まれ、ヴェネツィアで絵の修行をした。おそらくジョヴァンニ・ベッリーニのもとで修業したと思われる。ティツィアーニは彼の相弟子とも、或は弟子とも言われているが、いずれにしても一緒に仕事をしていたようである。

二十台にして既に、大家の趣があった。最初の大作は、生まれ故郷のカステルフランコの聖堂から依頼された祭壇画(上の絵)。これは、傭兵隊長マッテオ・コンスタンツァをたたえるためのものと言われるが、描かれているのは聖母子と二人の聖人である。その聖人の一人は槍を抱えており、聖リベラーリといわれているが、この男性がコンスタンツァだと思われる。

聖母子は高い段の上に坐し、その手前に二人の聖者が立っている。右手の人物は聖フランチェスコである。この絵の中には、陰影法としてスフマート技法が使われている。スフマート技法は、ダ・ヴィンチも「モナリザ」で用いており、微妙な陰影を表現する技術である。なお、聖母の背景には風景画のびのびと描かれているが、絵の背景としてこのような風景を入れることは、ジョルジョーネの発明だと言われる。(1503年頃 板に油彩 200×152㎝ カステルフランコ、サン・リベラーリ聖堂)



これは、「眠れるヴィーナス」。ジョルジョーネの最も有名な作品である。雄大な風景のなかに、裸の女性を配した構図は、非常に大胆であって、当時ちょっとしたスキャンダルをひきおこしたようである。この絵の中にも田園の風景が描かれているが、その部分にはティツィアーノの手が加わっているとも言われる。そのティツィアーノも、「ウルビーノのヴィーナス」という似たモチーフの作品を描いている。また、後年のマネも、「オランピア」という題で、似たような構図の作品を描いた。(1510年 カンヴァスに油彩 108.5×10875cm ドレスデン、アルテ・マイスター絵画館)



これは、「テンペスタ」。西洋美術史上最初の風景画といわれる。また、この絵の中に描かれた人物は、いずれも世俗的な人々で、従来の常識を破るものだった。従来の絵のモチーフは、聖書の中の人物とか、歴史上著名な出来事からとられたもので、この絵のように、何気ない世俗的なものをモチーフにすることはなかった。(カンヴァスに油彩 83×73㎝ ヴェネツィア、アカデミア美術館)





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