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エドガール・ドガ:主要作品の解説と批評


エドガール・ドガ(Edgar Degas 1834 -1917)は、一般的には印象派の画家に分類されている。たしかに、1874年に始まった印象派展のうち、第七回目を除いてすべ複数の作品を出展している。だが、作風からしても、画家としての自己形成からしても、印象派の枠組には収まらなかった。

ドガは、もともとアングルの古典主義的画風を理想としており、モネやルノワールら本流の印象派とは異なった画風を追求した。印象派は、野外の光を追求したのだが、ドガは、踊り子をはじめ、屋内空間で動き回るモデルを描き続けた。しかもその画風は、かなり古典主義的な要素に富んだものだった。だから、ドガは遅れて現れた古典主義者といってもよかった。自身も、印象派の枠に収められることに納得していなかったようだ。第一、1834年生まれのドガは、モネより6歳、ルノワールより7歳年長であり、かれら印象派の出現以前に、すでに自己流の画風を確立していたのである。

ドガは、裕福なブルジョワの息子として生れた。だから青年期はのびのびと画業に励んだ。もっとも、後年父親が多額の負債を残して死んだあとは、金の工面に苦労するようになる。晩年のドガは、おびただしい数の大衆向け作品を制作したが(パステル画など)、それは金を工面するのが目的だったという。

19歳でパリ大学の法学部に入学したが、美術へのあこがれに勝てず、21歳で国立美術学校に転じている。並行してアングル派のラモートに学び、古典主義的な画法を身に着けていく。また、イタリアを訪れて、ルネサンスの巨匠たちを研究した。イタリアでは、フィレンツェに長く滞在した。フィレンツェは、ルネサンス美術の中心地である。

31歳以降、毎年のようにサロンに出展した。当時はサロンで評価されることが画家の登竜門とされていたのである。だがドガは、評価されなかったばかりか、出展を拒否されたこともあった。なぜそんなに毛嫌いされたのか、よくわからないところがある。33歳にして制作した小品「若い婦人の肖像」は、ドガの初期の傑作というのみならず、肖像画の最高傑作の一つに数えられるものであるが、そうした高い完成度を達成していたにかかわらず、ドガはサロンに評価されなかったのである。

1870年に普仏戦争が起きると、ドガは衛兵として参戦する。そのさいに眼を負傷し、それが原因で、生涯弱視に苦しむことになる。ドガが印象派の他の画家のように野外の風景を描くことがなかったのは、強烈な光が苦手だったからである。だから、もっぱら屋内でスケッチするようになる。踊り子を描くようになったことには、そうした事情が働いていたのである。

ドガが踊り子を描いたのは、1870年頃からのことだ。最初は舞台に座ったままの視線で、オーケストラの音に合わせて踊る舞台上の踊り子を描いたのだったが、そのうち、舞台の袖や稽古場に立ち入って、身近に踊り子を描くようになった。ドガはオペラが好きで、年間指定席を買っていたのだったが、そうした年間会員には、舞台裏に立ち入る特権があったという。もっともドガは、オーケストラの楽団員と個人的な付き合いがあって、その筋を利用して舞台裏に立ち入ったのが最初のことだったという。

1874年に第一回目の印象派展が開催されると、ドガは10点の作品を出展した。以後毎年のように印象派展への出展を続ける。印象派展は1886年まで続き、ドガはその最後の展示会にも裸婦の連作などを出展したが、以後、孤立するようになった。人と打ち解けない性格のためだったといわれる。1894年にドレフュス事件が起きた時には、反ユダヤ的な言動をして、そのために長年の友人だったモネやピサロに絶交される始末だった。

1892年、まだ六十歳にならないうち、ドガの視力は極端に弱くなり、そのため油彩画の制作を放棄するようになった。そのかわりに紙にパステルというスタイルで描く続けたのだったが、それは一つには大衆向けの金もうけとしてであった。晩年のドガは、結構金に困っていたのである。

ドガの代表作をあげるとすれば、やはり踊り子をモチーフにした作品であろう。油彩画では「ダンスの教室」(1873年前後)、パステル画では「踊りの花形」(1878年)がドガのもっとも完成度の高い作品の双璧といえる。その他、アイロンをかける女とか盥で湯を使う女のシリーズなどがあげられる。いずれも、古典主義的な手法で市井の庶民のなにげない様子を描いたものだ。ドガのそうした絵を見ると、時代の空気が伝わってくるような気がする。

ここではそんなエドガール・ドガの主要作品をとりあげ、鑑賞しながら適宜解説・批評を加えたい。


若い婦人の肖像:ドガの肖像画

オペラ座のオーケストラ:ドガの集団肖像画

オーケストラの楽師たち:ドガの集団肖像画

ダンス教室:ドガの踊り子群像

オペラ座の稽古場:ドガの踊り子群像

事務所の人々:ドガの風俗画

舞台上のバレーのリハーサル:ドガの踊り子群像

舞台上の二人の踊り子:ドガの踊り子像

ダンスの教室:ドガの踊り子群像

ロンシャンの競馬場:ドガの馬の絵

アブサント:ドガの風俗画

犬の歌:ドガの風俗画

踊りの花形:ドガの踊り子像

休息する二人の踊り子:ドガの踊り子像

フェルナンド・サーカスのララ嬢:ドガの風俗画

ルーヴルのメアリー・カサット:ドガの人物画

ダンスの試験:ドガの踊り子像

ダンスのレッスン:ドガの踊り子像

稽古中の踊り子:ドガの踊り子群像

帽子店にて:ドガの風俗画

アイロンをかける女たち:ドガの風俗画

浴槽:ドガの裸体画

階段を上る踊り子たち:ドガの踊り子群像

青い踊り子たち:ドガの踊り子群像

開演前:ドガの踊り子群像

14歳の小さな踊り子:ドガの彫刻



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