壺齋散人の 美術批評
HOME ブログ本館 | 東京を描く 水彩画 日本の美術 プロフィール 掲示板


ギリシャ美術:特徴と代表作品の解説


今日ギリシャ美術と呼ばれているものは、古代ギリシャに花咲いた美術だ。古代ギリシャは、美術のみならず、哲学や科学技術を含めて、さまざまな方面においてめざましい功績をあげ、ヨーロッパ文明の揺籠として、また理想的な手本として、ヨーロッパ人に重んじられて来た。

その古代ギリシャは、紀元前3000年頃にクレタ島で始まったクレタ文明から、期限前31年にギリシャがローマの属州になるまでのほぼ3000年をカバーしている。そのうち、クレタ文明を築いたのは印欧語族ではなく、西アジア系の人類だとされているが、ギリシャ人の文化に多大な影響を及ぼしたことから、古代ギリシャ史の一齣に数えられている。

ギリシャ半島に印欧語族が南下してきたのは紀元前2000年の頃で、アカイア人を中核としたギリシャ人がミケーネ文明を作り上げた。ミケーネ文明はクレタ島の文化を吸収したことから、クレタ・ミケーネ文明とも呼ばれる。

紀元前1200年頃、印欧語族の別の波がギリシャに押し寄せて来て、自分たちをヘレーネスと称した。これが古代ギリシャ人の中心になった。今日古代ギリシャ人と呼ばれる人々は、このヘレーネスと称した人々を主にさしている。

ギリシャ人は、ペルシャ人やフェニキア人と対立しながら、自分らの文化の及ぶ範囲を拡大してゆき、小アジア半島の西海岸からシチリアにかけて広大なギリシャ文化圏を築き上げていった。古代ギリシャ文化が絶頂を迎えるのは、紀元前五世紀のことで、ギリシャはペルシャ戦争に勝利した余韻をバネにして、政治的にも文化的にも最も安定し、また成熟した時期を迎えた。

マケドニアのアレクサンドロスがペルシャを征服し、ギリシャ世界を地中海全体に広げ、また東方をも加えて、広大な文化圏を築いたのは紀元前四世紀のことだ。その文化をヘレニズムという。

ヘレニズムは、紀元前31年にギリシャがローマの属州になるまで続くが、それが古代ギリシャのたどりついた終点と言ってよい。以後ギリシャは国家あるいは文化圏としての自立性を失い、ギリシャ人も歴史の表舞台から消えて行ったのである。

ギリシャ美術は、おおむね上述した時代区分に応じた形で説明できる。クレタ島のクノッソス美術とそれをひきついだミケーネ美術から始まり、ヘレーネスの美術へと引き継がれていく。ヘレーネスの美術には、いくつかの盛衰があり、それによっていくつかの時代区分にわけられる。

ギリシャ美術が最盛期を迎えるのは、紀元前五世紀のことだ。それ以前のギリシャ美術は、ヘレーネスによる初期の美術と、今日アルカイックと称される美術とに大別される。紀元前五世紀に花開いた美術は今日クラシック美術と呼ばれ、ギリシャらしさがもっともよく発揮されたものと受け取られている。

ヘレニズム時代には、東方のさまざまな民族と混交しあったこともあり、クラシック美術とは異なった、ユニークな美術が生まれた。しかし、やはりギリシャらしさの典型とされるクラシック美術を下敷きにはしている。

ギリシャ美術の中心は何といっても彫刻である。その原作には失われたものが多いが、幸いにコピーの作品が、イタリアなどから出土されている。それを見るだけでも、ギリシャ彫刻の素晴らしさは十分堪能できる。

このサイトでは、古代のギリシャ美術の特徴について、彫刻を中心にして、鑑賞しながら簡単な解説を加えていきたい。(執筆にあたっては、穴沢一夫著「ギリシャ美術」を主として参考にした)


クノッソス宮殿:ギリシャ美術

クレタ美術:ギリシャ美術

ミケーネの黄金マスク:ギリシャ美術

幾何学様式:ギリシャ美術

マンティクロスのアポロン像:ギリシャ美術

アルカイック美術のコレー:ギリシャ美術

アルカイック美術のクーロス像:ギリシャ美術

アッティカの黒絵式陶器:ギリシャ美術

厳格様式のポセイドン像:ギリシャ美術

デルフォイの馭者:ギリシャ美術


パルテノン神殿とクラシック美術

エレクティオン神殿:ギリシャ美術

ミュロンの円盤を投げる人:ギリシャ・クラシック美術

ポリュクレイトス:ギリシャ、クラシック美術

プラクシテレス:ギリシャ、後期クラシック美術

スコパス:ギリシャ、後期クラシック美術

戦うアレクサンドロス:ヘレニズム美術

ペルガモン神殿:ヘレニズム美術

ヘレニズム美術のリアリズム

サモトラケのニケ:ヘレニズム美術

ミロのヴィーナス:ヘレニズム美術

ラオコーン:ヘレニズム美術

花を摘む乙女:ヘレニズム美術



HOME









作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2011-2019
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである