壺齋散人の 美術批評
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戦争の惨禍:ゴヤの版画


1808年5月 対仏戦争の始まり:ゴヤの版画
勇敢な女性たち:ゴヤの版画
抵抗もむなしく:ゴヤの版画
敗者を略奪:ゴヤの版画
処刑:ゴヤの版画
見せしめ:ゴヤの版画
とばっちり:ゴヤの版画
墓地へ:ゴヤの版画
旧体制の復活:ゴヤの版画
スペインの未来:ゴヤの版画



ゴヤの版画集「戦争の惨禍( Los desastres de la guerra )」は、スペインの対ナポレオン独立戦争を題材にしたものである。この戦争(対仏戦争ともいう)は、1808年から1814年まで続いたもので、ナポレオンの弟ジョゼフのスペイン王戴冠に始まりナポレオンの没落によって終わる。この戦争の様子をゴヤは1810年頃から版画に表現し始めた。

ナポレオンの台頭に際してスペインは、当初はフランスの同盟国として対ポルトガル戦争などに参加していたが、1808年5月にナポレオンが弟のジョゼフをスペイン国王にしたのを契機に、フランスと対立し、対仏(ナポレオン)独立戦争に突入した。もっとも、その戦争は、スペインあげての救国戦争というには程遠く、戦いの主体は民兵であり、戦局は泥沼化した。スペインが対仏戦争に最終的に勝利するのは、スペイン軍によるフランス軍の撃破によるものではなく、フランス軍のロシア遠征の失敗によるナポレオンの自滅によるものだった。

ナポレオンが台頭したとき、スペインの民主派は彼に光芒を見ていた。ナポレオンは、フランス革命の精神を体現した人物として、スペインにも民主主義をもたらしてくれるのではないかと、むなしい期待を抱いたからだ。ゴヤもそんな民主派の一人だった。王党派の専制政治にうんざりしていたゴヤは、ナポレオンがスペインに民主主義を植えつけてくれる救世主になるのではないかと錯覚したのである。

しかし、ナポレオンはそんなに甘くはなかった。スペインの王朝政治の混乱につけこみ、自分の弟をスペイン王につけて、スペインをフランスの属国にしたのである。その仕打ちに接したスペインの民衆は、早速武器をとって独立への戦いに立ち上がった。その記念となるのが、1808年5月2日のマドリードにおける民衆蜂起である。

ゴヤは、この民衆蜂起に始まり、ナポレオン軍とスペインの民兵との戦い、戦争による飢饉などの災害、そしてナポレオン没落に伴うフェルナンド七世の復位までに至る期間の出来事を、版画の形で克明に記録していった。それゆえこの版画集は、スペイン対仏戦争の年代記といってもよい。

ゴヤにとって、対仏戦争が始まる前のフランスは、自由と民主主義の祖国だった。だが、そのフランスの兵士たちが、スペイン人相手にしたことといえば、野蛮と暴虐の限りであった。彼らは、自由と独立を求めるスペインの民衆に、悪魔のように襲い掛かり、スペイン人を次から次へと殺していった。そうした光景を眼前に目撃して、ゴヤは悲痛な思いに打たれたに違いない、一枚一枚の版画から、そんな悲痛な声が伝わってくるのである。

人間はなぜ、こんなにも残酷になれるのか。ゴヤは、そのことについて何度も自問したに違いない。その結果、戦争というものがいかに人間を堕落させ、非人間的なことを平気で行わせるに至るものなのか、深く反省したに違いない。この版画集は、ゴヤのそうした思いをこめた作品群である。

なお、版画集は82点の作品からなり、各作品のサイズは横20.5-21.5cm、縦15-16.5cm程度である。

この版画集が最終的に仕上がったのは1820年ころだと思われる。そこに込められた強烈な政治的メッセージゆえに、ゴヤは迫害を恐れて、これを公刊することはなかった。公刊されたのは1863年(死後35年後)のことである。




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