壺齋散人の 美術批評
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ブリューゲルの版画



アルプスの風景:ブリューゲルの風景版画
田舎の世話:ブリューゲルの風景版画
荒野の聖ヒエロニムス:ブリューゲルの風景版画
ネーデルラントの四輪馬車:ブリューゲルの風景版画
休息する兵士たち:ブリューゲルの風景版画
エマオへの道:ブリューゲルの風景版画
聖アントニウスの誘惑:ブリューゲルの版画
大きな魚は小さな魚を食う:ブリューゲルの版画
学校のロバ:ブリューゲルの版画
忍耐:ブリューゲルの版画
冥府へ下るキリスト:ブリューゲルの版画
最後の審判:ブリューゲルの版画
貪欲:ブリューゲル七つの大罪
傲慢:ブリューゲル「七つの大罪シリーズ」
激怒:ブリューゲル「七つの大罪」
怠惰:ブリューゲル「七つの大罪シリーズ」
嫉妬:ブリューゲル「七つの大罪シリーズ」
大食:ブリューゲル「七つの大罪シリーズ」
邪淫:ブリューゲル「七つの大罪シリーズ」
誰もが:ブリューゲルの版画
節制:ブリューゲルの版画「七つの徳目シリーズ」
ホボーケンの縁日:ブリューゲルの版画


ブリューゲルの生年は1525年から1530年の間だろうと推測されている。というのもブリューゲルは1551年にアントワープの画家組合に初めて親方として登録しているのだが、通常それは21歳から26歳の間になされるのが慣行だったからだ。確定的ではないが、大きく間違ってもいないだろう。

死んだ年が1569年であることは確実である。だからブリューゲルは最大に見積もっても、40代の半ばで死んだことになる。それでもブリューゲルは、ヨーロッパの絵画史に大きな足跡を残した。その特異な画風は、同時代のどんな絵画とも似ておらず、したがって高く評価されることもなかったが、版画だけは例外で、同時代人にも人気があったといわれる。

とりわけ風景画は人気があった。ブリューゲルが生きた16世紀のフランドル地方は、風景を描く画家が多くいたらしく、ブリューゲルはその中でも花形的な位置を占めていたらしいのだ。フランドルの絵画は、17世紀に華やかな風景画の世界を花開かせるのだが、ブリューゲルはその先駆者として位置付けることもできる。

ブリューゲルが風景画を描いたのは、イタリアへの修行の旅から帰ってきた後の、1555年から1556年のことである。1557年以降は、風景画という狭い枠を離れて、今日ブリューゲルの特徴とされているあの独自な世界に踏み出すにいたるから、彼が風景画家として活躍したのは、ごく短い間に過ぎない。

ブリューゲルに版画のための下絵を依頼したのは、ヒエロニムス・コックという人物だった。コックは自身も画家であったが、とりわけ風景画を好んだ。それもティツィアーノやカンパニョーラなどイタリア・ルネサンスの様式を好み、イタリア風の風景画をブリューゲルにも求めたのだと思われる。

ブリューゲルは、コックの要望に応えて、大風景画シリーズと今日いわれる一連の風景画を制作した。それらはアルプスの雄大な景色やら、農村の穏やかな風景を描いたものだ。後にこうした作風をもとに、17世紀のフランドルの風景画が育ってくる。





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