壺齋散人の 美術批評
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ヒエロニムス・ボスの世界:作品の鑑賞と解説


ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch)は1450年ごろに生まれ、1516年に死んだということになっているから、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)とほぼ同じ、というか全くの時代人である。ボスはネーデルラント、ダ・ヴィンチはイタリアで生きたわけだが、彼らの住んでいた世界が異なっていたように、彼らの芸術もまた殆ど似たところがない。ダ・ヴィンチはいうまでもなく、イタリア・ルネサンス芸術の巨匠として、人間と文明とを高らかに表現したのに対して、ボスの芸術は作風上の先駆者をもたず、またブリューゲルのような例外はあったが、後継者も持たず、後世の美術史に影響するところも殆どなかった。孤立した芸術家といってもよい。ダ・ヴィンチの絵画が主として人間を対象にし、人間の素晴らしさや美しさ、そして偉大さといったものにこだわったのに対して、ボスは、もっぱら人間に関心を集中して描くようなことはなかった。

ヒエロニムス・ボスが人間を描く時には、個人としての人間ではなく、集合的な概念としての人間が描かれるに過ぎない。ボスの絵の中の人間は、ダ・ヴィンチのモナリザやヨセフと異なって、一人の人間としての個性をアピールすることはなく、あくまでも集団の一員として振る舞う人間なのだ。宗教画の中では、受難するキリストを描いたが、そうした絵においても画家のまなざしは、個人としてのキリストよりも、彼を取り巻く民衆の熱気というものに注がれている。

ヒエロニムス・ボスが人間以上にこだわったのは、妖怪とか化け物と云ったおどろおどろしたイメージである。魚や爬虫類の姿をした怪物たち、人間を呑み込む鳥の化け物、頭から直接足が生えた怪物、そして足元が樹木の根っこになり、胴体が卵の殻のような人間、こうした異物のイメージが画面のいたるところを埋めている。彼らがなすところといえば、最後の審判や地獄の責め苦の中にあって、人間たちに拷問を加える役目だ。人間たちは怪物たちに様々な拷問を受け、永遠の責め苦にあえぐばかりなのだ。ダ・ヴィンチの描く人間たちとは違って、ボスの描く人間たちは、罪深い者たちであり、その罪を堕天使や地獄の化け物たちによって責められ、苛まれる存在なのだ。同時代人であったにかかわらず、ダ・ヴィンチとボスはこんなにも異なった芸術を展開した。それはやはり、彼らの住んでいた世界が根本的に異なっていたのであり、それについての彼らなりの認識の基礎をなすものが異なっていたことによる。

ヨーロッパの15世紀は、カトロチェント(1400年代)と呼ばれ、ルネサンスの栄光と結びついているが、それはあくまでもイタリアが舞台なのだ。ネーデルラントにはまだ、ルネサンスの波は押し寄せていない。ボスが生きていた15世紀後半から16世紀初頭にかけてのネーデルラントは、ルネサンスという新しい段階には踏み込んでおらず、中世との連続の中で毎日の生活が展開していた。ホイジンガが言うところの中世の秋、すなわち人間生活のあらゆる相が、中世の影にいまだ覆われていた時代なのである。

それ故、ボスの芸術を中世人の世界観と関連附けながら解釈すれば、見えなかったものが見えてくる可能性も高い。その世界観とは、カトリック信仰と原始的な世界解釈とに支えられている。ボスの絵は、一方ではキリストの受難を中核にして、中世末期の民衆が持っていた宗教意識といったものを表現するとともに、おどろおどろした怪物のイメージにみられるような、中世人の原始的な世界解釈を反映したものでもある。

ヒエロニムス・ボスは基本的には、中世の残影を色濃く残した世界に生きた人間だったのである。つまり、早く生まれすぎた近代人ではなく、遅く生まれてきた中世人、そんなイメージが相応しかろう。

ヒエロニムス・ボスは生年もはっきりとはしていないし、生涯についても明らかでないところが多い。生涯に残した作品は三十数点あるとされるが、それらには7点を除いて署名がないし、また制作年代も詳しくはわかっていない。作風を手掛かりにして、前期、中期、後期と、おおざっぱな区分けができる程度だ。ダ・ヴィンチの生涯と作品制作の過程があきらかになっているのに比べると、わからないことだらけだ。

ボスの一族はドイツのアーヘン出身だったことは分かっている。一族の正式の性「アーケン」はここからきている。祖父の代に、ネーデルラントの町ス・ヘルトーヘンボスにやってきた。ボスという署名は、この町の名前の一部を転用しているわけだ。ボスの一族は、アーヘン時代から画家の一族であったらしい。ボスはだから、家業としての絵を、父親や叔父たちから教わったようだ。イタリア・ルネサンスの画家たちのように、スクールによる体系的な教育といったものはなく、先祖伝来の描画術を、父親や伯父から手づから叩き込まれたと考えられる。

ヒエロニムス・ボスの絵に見られる、民衆の想像力に根差したらしい奔放なイメージは、ではどこから来ているのか。ボス解釈の第一人者フレンガーは、それを秘儀的宗教団体とのかかわりで解釈しているが、フレンガーが想定しているようなアダム派の宗教団体に、ボスが関わっていたという証拠はない。当時の記録からわかることは、ボスが聖母兄弟団というカトリック系の信仰組織の一員だったらしいということだけだ。

この聖母兄弟団が中心になって、ス・ヘルトーヘンボスの町の中心に巨大な寺院が作られた。ヒエロニムス・ボスの父親は、その寺院のために宗教画の作成を依頼されている。ボスもまたそれにかかわった可能性は十分にある。当時のネーデルラントにあっては、画家は主に教会からの注文に応じて宗教画を描くのが主な仕事であった。キリスト受難や聖人伝のような伝統的な画題にあっても、ボスは早くから独特の傾向を見せた。多くの宗教画に見られるような厳粛で清浄なイメージとは異なり、現世的でドロドロしたイメージを全面に出した画風を、早い時期から見せている。これはボスが、普通の画家以上に、民衆の生活に近いところに、自分の活動舞台を設定していたことを伺わせる。

ホイジンガの「中世の秋」を繙くと、中世末期のブルゴーニュ(そこには15世紀のネーデルラントも含まれる)においては、人々の生活は激情的な高揚によって彩られ、宗教生活も現世的な色合いに染まっていた。人々は時にはうっとりとする程敬虔になるかと思えば、次の瞬間には驚くほど残酷になれた。しかもそうした変化を何の困難もなく演じて見せることもできた。

生活の節目節目は、祭礼やどんちゃん騒ぎによって分節化された。また礼儀作法や形式的な人間関係が形成され、ドンキホーテを思わせるような騎士道がもてはやされた。一方、宗教生活は、魂の永遠の救済といった高邁な理想によってではなく、現世の幸福と云った功利的な動機によって動かされていた。ボスはそうした時代のあり方に、彼なりに応えたのではないか。

ヒエロニムス・ボスの絵は、彼独自の解釈に基づいた宗教上のエピソードを描いたものと、民衆の想像力に根差したと思われる、幻想的な絵とに大きく分類できる。当時の画家の殆どが、宗教画を主に描いていたように、ボスもまず宗教画を描くことから画業を始めたと思われる。そのうちに、七つの大罪とか、死のイメージとか、阿呆船とか、当時の民衆に人気のあったテーマを描くようにもなったのだと推測される。後者の絵には当然、民衆の想像力がそのまま流れ込んできたと思わせるものが多い。

ボスは民衆の想像力に根差した絵を描くうちに、そこに奇怪な怪物のイメージを取り入れるようになった。ボスと云えば、なんといっても怪物の世界を描いた稀有の画家と云うのが、大方の了解なのだ。その怪物のイメージはどこから湧いてきたのか。それもまた、民衆の中に存在していた実際のイメージを取り出して活用したものと考えられる。他の画家が馬鹿にして相手にしなかったものを、ボスは積極的に取り入れた、こういえるのではないか。

そうだからこそ、ブリューゲルのような才能のある画家が、ボスの怪物のイメージを、躊躇することなく、自分のものとして受け継いだのではないか。それらはボス個人の頭の中から導き出された異例のイメージではない。そうではなくボスが生きていた時代の民衆の頭を占めていたイメージを、ボスが形にして現したからこそ、そのイメージを共有していたブリューゲルも、それを自然に形にしたのではないか、そう思われるのである。

ヒエロニムス・ボスの絵をみて最も強烈に感じるところは、彼が人間の表情に敏感だということだ。中でも憎悪や軽蔑と云ったマイナスの感情だ。そうした感情は、キリストの受難に対して民衆が見せる悪意ある反応のなかにもっともよく読み取れる。

比較的初期の作品と思われる「この人を見よ」と最晩年の作品である「十字架を負うキリスト」に共通しているのは、受難するキリストに注がれる民衆の悪意ある表情だ。その悪意は「十字架を負うキリスト」においては、見るものを戦慄せしめるほどの迫力を帯びている。この絵の中に出てくるヴェロニカの悲しげで静かな諦めの表情も、キリストの受難を救うことができない。それほど民衆の悪意はすさまじい勢いで迫ってくる。ボスは民衆を悪意に満ちた邪悪な存在だととらえる一方、「阿呆船」や「バカの手術」のなかでは、愚かで間抜けで救いようのない存在として描いている。どちらにしてもボスは、民衆を肯定的には描いていない。何が何故、彼をしてそうさせたのか。

こんな風に考え出すと、興味は尽きるところがない。それほどボスの絵は見る者の想像力を刺激する。ここではヒエロニムス・ボスの絵を、それ自体に触発されるままに、筆者独自の視点から読み解いていきたいと思う。


この人を見よ:ヒエロニムス・ボスの世界

東方三賢王の礼拝:ボスの世界


この人を見よ(2):ボスの世界

十字架を担うキリスト:ボスの世界

キリストの磔刑:ボスの世界

カナの婚礼:ボスの世界

七つの大罪と四終:ボスの世界

石の切除手術:ボスの世界

手品師:ボスの世界

愚者の船:ボスの世界

大食と邪淫のアレゴリー:ボスの世界

守銭奴の死:ボスの世界

干草車:ボスの世界

怪物たち:ボスの干草車

ヒエロニムス・ボスの地獄:干草車

行商人:ボス「干草車外翼画」


最後の審判:ヒエロニムス・ボスの世界

煉獄の拷問:ボス「最後の審判」


刃物の化け物:ボス「最後の審判」

地獄:ボス「最後の審判」

地上の天国:ボス「死後の世界」

昇天:ボス「死後の世界」

地獄への降下:ボス「死後の世界」

地獄:ボス「死後の世界」


悦楽の園:ヒエロニムス・ボスの世界

悦楽の園 中央画面:ボスの世界


歌う鳥とムール貝:ボス「悦楽の園」

炎と洪水:ボス「悦楽の園」

人を食う鳥:ボス「悦楽の園」

天地創造:ボス「悦楽の園」外翼画

放蕩息子:ボスの世界

東方三博士の礼拝(トリプティック):ボスの世界

十字架を背負うキリスト:ボスの世界

茨冠をかぶせられるキリスト:ボスの世界

聖女ユリアの磔刑:ボスの世界

聖ヒエロニムス:ボスの世界

祈りを捧げる聖ヒエロニムス:ボスの世界

荒野におけるバプテスマのヨハネ:ボスの世界

キリストを担う聖クリストフォロス:ボスの世界

パトモスの聖ヨハネ:ボスの世界

瞑想する聖アントニウス:ボスの世界

聖アントニウスの誘惑(左翼):ボスの世界

聖アントニウスの誘惑(中央画面):ボスの世界

怪物たち:ボスの世界

聖アントニウスの誘惑(右翼画):ボスの世界

十字架を担うキリスト:ボスの世界


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